不登校地獄のはじまり
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きっかけは部活
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ハードな部活
私が最初に中学校のことを嫌いになったのは、部活の人間関係がきっかけでした。
私が部活嫌いの引き金を引いたのは、ソフトテニス部のペア問題。
当時、私が所属していたソフトテニス部には、選手が奇数人しかいなかったのです。後衛が一人多く、前衛が一人足りない。その不足を補うための白羽の矢が立ったのが、私でした。二人の後衛を、掛け持ちしてペアを組まされました。
一人の後衛の子は、他の習い事を優先して、部活にあまりこない子。もう一人は、練習熱心だけれど、後衛の中で一番下手な子。正直、貧乏くじを引かされたと思いました。
二人と練習しなければならず、他の人の倍練習しなければならなくなり、毎日クタクタ。学校生活にもなかなか馴染めず、私は体調不良を理由に、部活をよく休むようになりました。
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部活への不信感
そんなある日、私はいつものように顧問に休みを伝えようとすると、止められました。
「Aちゃんのために、練習に来てあげて」
Aちゃんは、一番下手な後衛のペアの子です。彼女は真面目というより、単純にテニスが好きで、毎日欠かさず練習していました
けれど私は、帰りました。
宿題が山積みで、部活なんて行くと、提出物が一つも出せなかったからです。
そしてなによりひねくれものの私は、先生が私の事情より、Aちゃんのことを優先しようとしたことが、どうしても納得がいかなかった。
自分は授業で精一杯。部活で動き回る余力なんてない。でも先生は、Aちゃんのために部活に出ろと言う。
私のことはどうでもいいのかと、憤りさえおぼえました。そして、顧問やペアの子たちへの不信感ばかりがつのりました。
だんだんと、私は部活に行かなくなりました。かろうじて、土曜日の練習や練習試合には出ました。
そうしているうちに、Aちゃんと、もう一人の私のペアの相手のB ちゃんが、ペアを組むようになりました。
私の部活での居場所は、完全に失われました。AちゃんとBちゃんが仲良くしているのを見ると、(ああ、私がいないと、上手くいくんだ)と思いました。
そうして私は、二年生になる頃には、部活にほとんど行かなくなりました。
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なぜ部活ができなかったのか
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体力の限界
今思えば、1日授業を受けるまでが、当時の私の体力の限界だったのだと思います。授業だけでへとへとになって、部活どころではありませんでした。
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騒がしい教室
授業のときの教室は、小学校に比べてはるかに騒がしく、集中しづらい環境でした。
私語は当たり前。先生の解説には野次が入る。
私の通っていた中学校が、荒れていた訳ではありませんでした(むしろ田舎の大人しい学校)が、一人賑やかな性格の子がいるだけで、授業の雰囲気はずいぶん変わります。
一人が面白おかしく発言して、周りがそれに乗っかる。そして笑い声が起こる。
その普通の生徒の「賑やかで楽しい授業」は、私にとっては「うるさくて苦痛な時間」でした。
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発達障害者の抱える困難
突然喋り出されて、気が散る。笑い声、喋り声で先生の話がよく聞こえない。よく聞こえないから、必死に聞き取ろうと集中する。
そうやって、1時間、1時間、神経をすり減らすように勉強し、1日過ごす。
疲れるのは当然でしょう。
聴覚過敏に、カクテルパーティー効果の効きづらさ(聴覚情報の選択が上手くいかない)。そんな環境で、感覚を研ぎ澄まし集中することでもたらされる強烈な疲労感。
当事者ならば、似たような経験があると思います。
そんな自分の特性(気が散りやすい、音に疲れる)を理解できていれば、学校側に授業に集中しやすい雰囲気づくりを求めることをできたかもしれません。
でも当時は、自分がどうしてこんなに疲れるのか、わかりませんでした。
みんな疲れていても、課題や部活を頑張っているのだと思っていました。