大学での合理的配慮について~支援までの道のり編~
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。梅雨も明け、蝉の鳴き声が日に日に大きくなってきております。
お久しぶりです。一応順調に大学生活を過ごしているアルテミジアです。
今回は、生活もひと段落つき、体調に余裕も出てまいりましたので、大学での合理的配慮について書いていきます。
合理的配慮とは
そもそも合理的配慮とは、Wikipediaによりますと
合理的配慮(ごうりてきはいりょ)とは、障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。
だそうです。
最近では、ツイッターでもよく見かける言葉です。
障害者の困りごとをなるべく解決していこう、という取り組みですね。
私は高校時代にも、授業中気が散らないように一番前の席にしてもらったり、なるべく板書を増やしてもらったり(口頭だけだとすぐに忘れてしまう)していました。
高校でも必要だった支援が、大学に進んで急にいらなくなるわけもなく、私は入学してすぐに、障害学生の支援をお願いしようと決めました。
まずは支援申請
支援をうけるからには、まずは学校に申請をしなければなりません。
まずはここに、最初の難関があります。
おそらくどこの大学にも、障害のある学生の支援をサポートする機関があると思います。障害学生支援室、障害学生支援部、障害学生支援センター。名称はさまざまですが、まずはそこへ行って、支援が必要だと伝えなければなりません。
しかし、いざ一人で行こうと思うと、とても高い壁を感じてしまいます。
支援を断られたらどうしよう。発達障害でも支援してもらえるんだろうか。ちゃんと話せるだろうか。
私はなかなか一人で行こうと思えませんでした。そこでどうしたかというと、困ったときの相談室。相談室に相談しました。
「一人じゃ無理です!」とカウンセラーの先生に泣きつき、カウンセリングの時間に、支援室までついてきてもらい、担当の方への相談まで代わりにしてもらいました。
その結果、めでたく支援申請までこぎつけたのです。
申請書が出せない!
さて、カウンセラーの先生に泣きついて支援部へ赴き、支援申請の手続きを教えてもらいました。
支援申請を受ける手順は簡単。
まず、支援申請書を書き、診断書とともに提出。以上。
たったこれだけ!
しかし、このたったこれだけに、私はほぼ一か月かかりました。さてどうしてでしょう。
正解は、支援申請書が書けなかったから!
わかる方には、わかると思います。
支援申請書には、提出しなければいけない期日というものがありません。
さあ、そろそろわかってきた方もいるでしょう。
やつです、やつがやってきたのです。
ADHDの悪癖・先送り癖が!
明日書こう、明日書こうを何日も繰り返し、気づけば一週間が過ぎ。病院で診断書をもらい、さあ出そうと思っても、朝になったらすっかり忘れている。帰宅して思いだして、また明日出そうの繰り返し。
4月に申請書を貰ったのに、気づけばGWが終わっていました。
解決策は?
きれいに完成された申請書を提出するのは私には無理でした。
仕方なく、書きかけの申請書をもって支援部に。未完のまま提出しました。
ほんとうに必要最低限の事だけをその場で書いて、出しました。
解決策と呼ぶにはあまりにお粗末ですが、とりあえず出してみる、も選択肢の一つだということを伝えたいです。
発達障害をオープンにしてみた
大学生活が始まり、あっという間に4月が終わろうとしています。
私はこの春から、発達障害を友人にオープンにしています。
そのことについて、今回は書いていきます。
きっかけ
オープンにしようと思ったきっかけは、晴れて大学生になり、友人もでき、感じたこと。
(あれ?やっぱり私みんなと違う?)
なんといまさらな発見!
環境の変化にどんどん適応していく友人たちと、いつまでも慣れないでいる自分とを比べて、(やっぱり自分は、環境の変化に弱いんだ)と再確認。
おそらく友人たちも、完全に大学に慣れてはいないのでしょうが、自分と比較すると、やはり慣れのスタートが早いです。このあたりは、もともとの体力や疲れやすさも関係しているのだと思います。
あとは、
- とりかく生活で疲れる
- 予定管理が下手
- 忘れっぽい
この3つが身に染みました。
しかしよく考えれば、高校でさえ出席日数ギリギリ。留年を紙一重でかわしてきた人間が、一ヶ月やそこらで並の人間になるわけがない!
そもそもそれがどうにかなれば、私は発達障害ではない!
ということで、これからお世話になり、かつ迷惑をかけるであろう友人たちに、自分の特性を知ってもらうことにしました。
オープンその1【Aちゃんの場合】
私が人生初の発達障害カミングアウトの相手は、入学式の日に仲良くなったAちゃんでした。大人しい性格の子で、フィーリングがあう子です。
Aちゃんには、仲良くなって数日ほどで、自分が発達障害であると伝えました。
カミングアウトといっても、出会ってすぐに「実は私、発達障害で……」と深刻な顔をして伝えるのはどうかと思い、日常会話の合間にさらっと、
「私、発達障害あるからさ~」
と当たり前のような顔をして告白。
Aちゃんのリアクションはというと
「あっ、そうなんだ……」
とやや困惑ぎみ。そしてただよう、“聞いてはいけないことを聞いてしまった”感。
そして、例の台詞。
「でも、そういうふうには見えないね」
キタ━(゚∀゚)━!
Twitterでまことしやかに語られる、「障害があるようには見ない」と言われる発達障害者の経験。
私はまさに、その現場に遭遇しました。
実際に言われてみると、Twitterで叫ばれているほど、理解されていないとも思わなかったです。
おそらく、彼女には他意はありません。むしろ私へ気を使っての発言でしょう。それがわかっているので、不快ではありませんでした。
その場はそのまま、違う話題に移りました。
オープンその2【Bちゃんの場合】
Bちゃんも、大学から新しくできた友達です。私と同じ夢を持っていて、とても気が合う子です。明るい性格で、いつも彼女には助けられています。
そんなBちゃんにも、発達障害だと告白してきました。
今度も、会話でタイミングがあったとき。相談室に行くと話した時に、
「私、発達障害だから~」
とさらりとカミングアウト。
リアクションは、Aちゃんと同じく「そうなんだ。」と、驚き、ちょっと困惑ぎみ。しかし、彼女の持ち前の明るさは、それで終わらせませんでした。
「ちゃんと相談乗ってくれたらいいね」
と、笑顔で一言。
その一言がとてもうれしかった。
彼女は今でも、私が困っているときに、そっと自然に手助けをしてくれます。ほんとうに、いい友人です。
オープンその3【Cちゃんの場合】
Cちゃんは、価値観が似ていて、話すといつもとても盛り上がる子です。彼女の存在は、とてもいい刺激になっています。
Cちゃんには、先に書いた二人の後に話しました。二人と同じように、会話の中で。
しかしAちゃんとBちゃんとも、違う反応でした。
Cちゃんには、初めて
「どんなことで困るの?」と聞かれました。
彼女は教員を目指していて、発達障害にも興味があったのだと思います。彼女の問いにはできるだけ答えました。
いろいろ聞かれましたが、不愉快とは思いませんでした。彼女は真剣に、真摯に私に向き合ってくれました。私はそれが一番ありがたかったです。
知ろうとしてくれていることが、本当に本当にありがたかったです。
発達障害をオープンにした結果
- やっぱり最初は困惑される
まだ三人にしか打ち明けていませんが、やはり最初は驚かれ、戸惑われます。これはもう、オープンにときには逃れられないことだと思います。
- あからさまに態度が変わることはない
オープン後の周りの反応は、とても気になることだと思います。しかし、自分が思っているほど、周囲は発達障害ということを重大にとらえられないことも多いようです。わたしの友人たちは
(発達障害のある子なんだな)と認識したくらいです。
その認識一つで助けられることも、あります。現に私は、苦手なグループワークのときに、何度か助け船を出してもらいました。
これは発達障害について知ってもらえなければ、できないことだとおもいます。
- 理解しようとしてくれる人はいる
発達障害を誰かに話すとき、一番怖いのは否定です。
私は大学ではオープンでいようと決めていましたが、否定されることも当然のこととして覚悟を決めていました。
しかし実際は否定されることは少なく、むしろ理解を示してくれる人の方が多いです。Cちゃんのように、障害そのものを知ろうとしてくれる人や、Bちゃんのように、そっと手助けをしてくれる人もいます。
いざ!大学相談室で相談!
いよいよ面談のとき
先日大学の相談室で面談の予約をしてきた(大学の相談室へ行ってきたよ! )のですが、ついに予約していた面談の日が来てしまいました。
今回は大学の相談室での面談について、書いていこうと思います。
目標は2つ
相談室へ行く目的は2つ。
- 病院を紹介してもらう
- 大学生活での不安事項、問題の相談
2は、相談室に行くたいていの人が相談することだと思います。
私もこれから、相談していこうと思っています。(まだ大学生活が始まったばかりなので、あまり相談することがない……)
しかし今回のメインは1!病院の紹介をしてもらいたかったのです。
そして面談後、無事、これから通院する病院を決めることができました!
前回と同じように丁寧に対応してもらえて、本当に相談してよかったと思いました。
次は面談の詳細について、書いていきます。
カウンセリングルームにて
いよいよ!病院紹介
面談がはじまると、さっそく病院についての資料をもらえました。相談内容について、事前に伝えていたので、このあたりはとてもスムーズでした。
もらっったのは、病院ごとのプリントと、近くの病院一覧。
近くの発達障害を診てくれる病院の一覧には、病院名のところに、ちいさな丸で印がつけてあり、カウンセラーさん曰く
「印がつけてある病院が、学生さんにも評判がいい病院ですよ」
とのこと。
まったく詳しくない土地に進学したので、これはとてもありがたい!
ネットの口コミなども、見ていたのですが、どこの病院もいい評価もあれば悪い評価もあり。また病院の数も多くて、どの病院がいいのかよくわからない。
だから10件くらいまで絞ってもらえたのはとても助かりました。
病院ごとのプリントは、その評判のいい病院のものでした。くわしい診療時間や、病院の場所の地図が載っています。
ちなみにどの病院も、個人の医院でした。
ここでお疲れ様、かと思いきや、それぞれの病院についても、カウンセラーさんが詳しく教えてくれました。
どの病院が家から近いか。
待ち時間は長いか。短いか。
予約は取りやすいか。
ネットでは信用しきれなかった情報も、安心して聞くことができます。
結果、自宅から近い、カウンセラーさんおすすめの病院にすることにしました。
次回の予約
病院がおおかた決まったとはいえ、学校生活に不安は残ります。今後、出でくるであろう問題を相談するべく、次回の予約もして帰りました。
が、一年生は授業が多い!
都合のいい空き時間が見つからず、結局次回のカウンセリングは2週間後に。
すこし不安もありますが、
(何かあったら相談しよう!)
と思えるだけで、安心して生活できます。それだけで、どれだけ気持ちが楽になることか。
2週間、次回に相談することを考えながら、過ごそうと思っています。
まとめ
- 病院は誰かに相談した方がいい
これは、自分が発達障害かどうか気になっている人や、セカンドオピニオンを探している人にも、言えることだと思います。
今は、ネットでなんでも調べられる時代ですが、顔の見えない人の言葉をどこまで信じられるかは、わかりません。
自分一人で調べて、病院を決めても、「本当にこの病院で大丈夫なのか?」と不安になることもあります。
そこで、大学という信頼できるところで紹介や相談をしてもらえれば、どうでしょう。不安はかなり和らぎます。
また、いい病院も知りやすいです。
- 相談できる!という安心感は大切
病院もきまり、相談もできる。
精神的な安定、安心を感じやすくなりました。
やはり、困ったときに頼れる場所は必要です。
その場所の選択肢の一つとして、学校にもよるでしょうが、大学生にとって、学校の相談室は最適だと思います。
大学の相談室へ行ってきたよ!
いざ相談室!
なんとか大学入学したものの、高校もぎりぎりで卒業した人間がすぐに普通に学校に通える訳もなく……。必要な支援のお願いや、休憩場所の確保のために相談室へ行ってきました!
結果、相談時間の予約をしてきたのですが……。
予約の手順
予約までの大まかな流れは、
相談室に入る
↓
スタッフさんから予約の用紙をもらう
↓
用紙に記入(学部、学科、氏名、希望時間、相談内容など)
↓
提出
↓
スタッフさんが、空いている時間を調べてくれる
↓
空いている時間に予約
でした。病院とかと、同じような感じですね。他の大学はどうかわかりませんが、似たようなものだと思います。
問診票のように、相談したいことについて、詳しく書く欄もありました。(私は、「発達障害 病院」と書きました)
相談内容は、口頭で聞かれることもあるかもしれません。
事前に相談内容を紙に書いて持っていくとスムーズにスタッフさんと話ができるかもしれませんね。また、気持ちの面でも、楽になると思います。
なぜこんなことを書くかというと、かくいう私が、口頭で答えることができなかったからです。
お決まりのフリーズ→パニック発動
受付でフリーズ
受付で利用用紙に、必要事項を書くまではよかったのです。
問題はそれから。
「発達障害なんですね~、診断はありますか?」と尋ねられ、
「あります」←まだ答えられる。
「病院は、紹介してもらいたいっていうことかな?」
「……」←このあたりから言葉がでない
ので頷き、なんとか対応。
「わかりました、他に気になることありますか」
「…………」←応答不能。涙腺決壊。
「ありません」と答えようとしても、声が出ない、いつものやつです。質問の内容が予想外というより、私が、何もないを何もないと答えられないせいだと思います。
この時点で、プチパニック。
新生活で神経が張りつめていたのもあり、最近にしては珍しく過呼吸になりました。
なぜパニックになったか。それは今のところ、これ!という理由は見当たりません。
疲れていて、気が緩んだんだと思います。
でもさすが相談室。ちゃんと落ち着くまで待って、残りの話や説明も、ゆっくり分かりやすくしてくれました。
休憩場所も教えてもらえました。明日からの安心感がすごい。早めに行って正解でした。
カウンセリングの予約もちゃんとできて、達成感がありました。ボロ泣きしたけど。
まとめ
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相談したいことは、事前に紙に書いて持って行く
はじめてだと、自分の伝えたいこと、知りたいことが、うまく伝えられないことがあるかもしれません。
簡単な箇条書きでも、相談したいことを書いたメモを持って行くといいと思います。
最悪、そのメモを見せてしまったら、うまく受け答えできなかったという自己嫌悪に陥りません。
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大学の相談室は行く価値あり!
あくまで、私の場合、という枕詞がつきますが、行く価値があると思います。
私の場合、カウンセラーさんはとても優しく、落ち着いて話を進めてくれました。
結果、本来の目的である病院の紹介も、休憩場所の確保も達成感できました。
また、学生生活の相談も、してもらえることになりました。私はこれから、学生生活での不安事項や、欲しい手助けについても相談しようと思っています。
大学生活で気になることがある人は、まず、自分の大学の相談室について調べて、一度行ってみるといいと思います。
予約した面談について、くわしくはこちら
不登校地獄のはじまり
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きっかけは部活
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ハードな部活
私が最初に中学校のことを嫌いになったのは、部活の人間関係がきっかけでした。
私が部活嫌いの引き金を引いたのは、ソフトテニス部のペア問題。
当時、私が所属していたソフトテニス部には、選手が奇数人しかいなかったのです。後衛が一人多く、前衛が一人足りない。その不足を補うための白羽の矢が立ったのが、私でした。二人の後衛を、掛け持ちしてペアを組まされました。
一人の後衛の子は、他の習い事を優先して、部活にあまりこない子。もう一人は、練習熱心だけれど、後衛の中で一番下手な子。正直、貧乏くじを引かされたと思いました。
二人と練習しなければならず、他の人の倍練習しなければならなくなり、毎日クタクタ。学校生活にもなかなか馴染めず、私は体調不良を理由に、部活をよく休むようになりました。
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部活への不信感
そんなある日、私はいつものように顧問に休みを伝えようとすると、止められました。
「Aちゃんのために、練習に来てあげて」
Aちゃんは、一番下手な後衛のペアの子です。彼女は真面目というより、単純にテニスが好きで、毎日欠かさず練習していました
けれど私は、帰りました。
宿題が山積みで、部活なんて行くと、提出物が一つも出せなかったからです。
そしてなによりひねくれものの私は、先生が私の事情より、Aちゃんのことを優先しようとしたことが、どうしても納得がいかなかった。
自分は授業で精一杯。部活で動き回る余力なんてない。でも先生は、Aちゃんのために部活に出ろと言う。
私のことはどうでもいいのかと、憤りさえおぼえました。そして、顧問やペアの子たちへの不信感ばかりがつのりました。
だんだんと、私は部活に行かなくなりました。かろうじて、土曜日の練習や練習試合には出ました。
そうしているうちに、Aちゃんと、もう一人の私のペアの相手のB ちゃんが、ペアを組むようになりました。
私の部活での居場所は、完全に失われました。AちゃんとBちゃんが仲良くしているのを見ると、(ああ、私がいないと、上手くいくんだ)と思いました。
そうして私は、二年生になる頃には、部活にほとんど行かなくなりました。
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なぜ部活ができなかったのか
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体力の限界
今思えば、1日授業を受けるまでが、当時の私の体力の限界だったのだと思います。授業だけでへとへとになって、部活どころではありませんでした。
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騒がしい教室
授業のときの教室は、小学校に比べてはるかに騒がしく、集中しづらい環境でした。
私語は当たり前。先生の解説には野次が入る。
私の通っていた中学校が、荒れていた訳ではありませんでした(むしろ田舎の大人しい学校)が、一人賑やかな性格の子がいるだけで、授業の雰囲気はずいぶん変わります。
一人が面白おかしく発言して、周りがそれに乗っかる。そして笑い声が起こる。
その普通の生徒の「賑やかで楽しい授業」は、私にとっては「うるさくて苦痛な時間」でした。
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発達障害者の抱える困難
突然喋り出されて、気が散る。笑い声、喋り声で先生の話がよく聞こえない。よく聞こえないから、必死に聞き取ろうと集中する。
そうやって、1時間、1時間、神経をすり減らすように勉強し、1日過ごす。
疲れるのは当然でしょう。
聴覚過敏に、カクテルパーティー効果の効きづらさ(聴覚情報の選択が上手くいかない)。そんな環境で、感覚を研ぎ澄まし集中することでもたらされる強烈な疲労感。
当事者ならば、似たような経験があると思います。
そんな自分の特性(気が散りやすい、音に疲れる)を理解できていれば、学校側に授業に集中しやすい雰囲気づくりを求めることをできたかもしれません。
でも当時は、自分がどうしてこんなに疲れるのか、わかりませんでした。
みんな疲れていても、課題や部活を頑張っているのだと思っていました。